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Vol.7 2006.1.20 - 2006.2.12

エスキース ― 不可視のレイヤーを加える  高橋裕行(批評家)

エスキースを描くという行為は、いってみれば、現実世界に、想像力の目で発見した新たなレイヤー(層)を付け加えるという作業ではないだろうか。トンネルの暗闇の中に、風を見る、ボーダーを見る、大気を見る。西島の場合、闇の中に何かを見る、その能力は、子供の空想力、大人の皮肉、攻撃的な能動性を受動性に脱臼させるユーモア、非決定で重層的なポジショニング、そのあたりに由来している気がする。

『Pachinko OASIS』は、(1)モノの輪郭を検出するコンピュータプログラムとマジックミラーからなる装置、(2)通路を挟み設置されたチューリップ花壇、という二つの要素から構成されている。花壇の前を観客が通ると、当人には何も分からないうちに、その輪郭がコンピュータによって検出され、流れ落ちるパチンコ玉の画像と合成される。装置からマジックミラー越しに花壇を見る別の観客からは、花壇の前に立つ人物が、あたかもパチンコ玉を跳ね返すクギであるかのように見えるという仕組みだ(もちろん、チューリップに玉が入るとフィーバーになる)。

興味深いのは、この作品が成立するためには、複数の観客が必要であるという点だ。花壇の前を通る観客、装置を覗き込む観客、さらに、周りでその両者のやり取りを眺めている観客。いいかえると、この作品には、(1)現実を現実として見ている人間、(2)現実に仮想現実をオーバーラップして見ている人間、(3)さらにその両者の関係性を見ている人間、の三者がいることになる。もともと、この装置は、島津製作所によって開発されたもので、コンピュータで生成された情報を、風景にオーバーラップさせて表示させるというものであった。西島はそれを、複数の観客が互いの視点(ポジション)を交換して楽しむコミュニケーション空間に変容させた(このように、表象よりもむしろ、媒介に焦点が合っているという意味で、西島の作品は正しくメディアアートであるといえる)。

同様の構造が『Remain In Light』にも見て取れる。そもそも、虫取り網を持って市街を歩き回る大人の姿は、滑稽であり、無防備である(実際、電波の採取に気を取られた観客が、危うく自動車にぶつかりそうになったりもする)。しかし、西島の虫取り網は、ただの虫取り網ではない。街中に氾濫するありとあらゆる電波(その中には、合法なものも、違法なものもある)を採取する特殊な力をもった装置なのだ。電波という目に見えない仮想レイヤーが加わることで、現実=目に見えているもの、という等式は崩れる。虫取り網を持っている人間からすると、街は、普段の街ではないわけだが、そのことは、現場にいる他の人々にはまったく分からない。分かるのは、それが光に変換され、衆目のもとに晒されたあとなのである。

共通しているのは、装置を持つ人間がからなずしも優位というわけではないという点だ。パチンコ玉をうまくチューリップに入れようとする観客は、花壇の前を通りすがる別の観客の動きに左右され、虫取り網を持つ人間は、街中の人々から、好奇の眼差しで眺められる。通常の電子装置は、その力ゆえに、持つものと持たざるものという、固定的で非対称性な関係をもたらすが、西島のユーモアは、その非対称性を覆す。まだ構想中の作品ではあるが『video gun (仮題)』も、銃という極めて能動的な象徴性を持つ装置に、掃除機という日常的かつ受動性を帯びた装置が組み合わせられているというところが面白い。写真の世界では、これまでも、撮影の能動性と感光の受動性をめぐって、歴史上さまざまな試みが為されてきたが、動画を色彩として採取し、解放するという体験の中からは、いったいどのような新しい感覚が生まれるのか、今後が楽しみである。

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